15年間にわたる映像×生の営み
去る10月5日から12日まで開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下YIDFF)の国際コンペティション部門に、前田真二郎監督《日々“hibi”AUG》がノミネートされた。国際コンペ部門だけで世界120ケ国から1100本以上の応募があり、そのなかから15本だけが選出されるという狭き門である。まさにノミネートは快挙といってもいいだろう。もっとも前田監督の作品は、1999年の「日本パノラマ」部門に《INOUE SHINTA PROJECT OF SHEPHERD 1999》が出品されて以来、YIDFFの特集では前田監督企画のオムニバス映画《BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW》など幾つかの作品が上映されているので、山形とは縁が深いといえる。
山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)前田真二郎 出品歴
YIDFF 1999 | 日本パノラマ | INOUE SHINTA PROJECT OF SHEPHERD 1999 |
YIDFF 2003 | アジア千波万波 | 3rd Vol.2 ― 2つの光の家 監督:真田操(企画) |
YIDFF 2005 | 私映画から見えるもの | 日々”hibi”13 full moons |
YIDFF 2007 | YIDFFネットワーク企画上映 | パヘンロ映像プロジェクト / Wedding 結縁 |
YIDFF 2009 | YIDFFネットワーク企画上映 | 企画、構成:松本俊夫「見るということ」/ 星座 |
YIDFF 2011 | アジア千波万波 | 羊飼い物語/新宿2009+大垣2010 |
ニュー・ドックス・ジャパン | BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW Omnibus Vol.1“2011年4月, Vol.2 2011年5月” | |
YIDFF 2017 | 日本プログラム | BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW Omnibus 2011/2016 |
YIDFF 2021 | 日本プログラム | BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW Omnibus 2011/2016/2021 |
YIDFFはドキュメンタリー映画に特化した隔年開催の映画祭であり、現在は世界的に知られているが、第1回が開催された1989年当初、わが国の映画文化においてドキュメンタリー映画の位置はそれほど高くなかった。筆者がコンペ部門の予備選考にかかわったのは1993年からであるが、当時はセルフ・ドキュメンタリーを含む個人映画の認知度は零に等しく、筆者を含む少数の人たちが個人映画を擁護する論陣を張ったことを懐かしく思い出す。YIDFFにおける前田監督の幾つかの作品上映は、そうした個人映画の魅力を市民意識に徐々に浸透させる機会にもなった。
今回国際コンペ部門に選出された《日々“hibi”AUG》は、2008年から2022年までの15年間、毎年8月の日々、毎日15秒の映像を撮って、それらのカットをつないでいくというルールのもとで制作されている。日々の撮影時間も、新月(朔)→半月(上弦)→満月(望)→半月(下弦)という月の運行の変化に応じて行われたという。そのため、つなげられた15秒の映像は、徐々に時間をずらしながら、昼と夜などの変化を取り込み、前田監督の日常や周囲の世界の断片を記録している。
そうした映像が描き出す世界は、一見すると、ジョナス・メカスを先駆者とする日記映画の系譜につながる印象を受ける。1日15秒という短い時間であるが、そこに映し出されているのは、前田監督の紛れもない日常の現実であり、生の営みであるからだ。しかも15年間という長い歳月である。その間、例えば2011年3月の東日本大震災後の8月や2019年に前田監督本人が胃がんの手術を受けた後の8月のように、映像にはその年に起きた社会的な事件や個人的な出来事が直接的にも間接的にも反映されていて、その1カット1カットは貴重な記録になっている。
想像するに、この15年間の8月の撮影は、緊張感が要請され、かなりしんどかったのではないだろうか。例えば、2009年8月1日の撮影は、床のカーペットに寝転んでいる前田監督の姿を映し出しているが、月の運行に応じた撮影時間に遅れたことを語っていて、そのユーモア溢れる姿を見ていて思わず笑みがこぼれた。また最初の頃は実写(と現実音)が中心になっているが、例えば2013年8月は、音声はなく演奏された楽曲がつねに重なって流れていたり、あるいは2016年8月は、ドローン撮影を中心にした映像に前田監督本人によるジョージ・オーウェル「1984」を解説する声が重ねられたりと、演出や工夫をいろいろと凝らしていて面白い。
とはいえ、こうした前田監督の試みにおいて興味深いのは、撮影に課したルールを通して、映画表現の根幹にかかわるプロセスが改めて問われているのではないかということである。構想や企画を除いて、映画制作のプロセスを図式的にいえば、撮影と編集が2つの大きな表現の磁場といえるが、月の運行の変化に応じた15秒の撮影ルールは、その規則性の縛りによって、当然ながら2つの磁場における表現の自由度とその幅に制約を生じる可能性が高くなるからである。
例えば、15秒の撮影でいえば、カメラに向かって歩いてくる前田監督の姿をもう少し見たくても自動的に15秒でカットされてしまうし、たとえ描かれた行動に演出があったとしても、劇映画のように括られたアクションとなることなく、人の動きも風景も15秒経つと規則的に終わってしまう。とはいえ、その反面、その15秒のリズムを受け入れると、点描された現実の集積がいわば絵巻物のように次々と広がっていく世界に変容して、映像が直示する意味とは別種の意味の解釈をうながされているようで興味が尽きない。
あるいは渋谷の街が翌日は自宅の窓となり、NHK前の夜景が翌日はコップの中の氷となるなど、月の運行によって時間がずれながらつながる日々も同様である。その日々の映像のつながりは、モンタージュという編集の美学を改めて問いかけているようで面白い。そうした無関係とも思える風景や事柄のつながりは、エイゼンシュテインのいう衝突のモンタージュにも似て、見る者の心のうちに不定形だが刺激的な何かを喚起し、前田監督の日常の営みと重ねながら、別種の解釈の方向を探ることをうながしているように思われる。
2005年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の「私映画から見えるもの」特集で上映された《日々”hibi” 13 full moons》において、前田監督はすでに同様なルールを設定した試みを行っている。この作品はノートパソコンの内蔵カメラで2004年の1年間を毎日15秒ずつ撮影したもので、《日々“hibi”AUG》の原型といえる。こうした「日々」シリーズのインストラクションについて、「美術×映像」(松本俊夫編、美術出版社)に寄せた「『星座』撮影日誌」のなかで、前田監督は「日常に潜む未知なるものと遭遇する可能性」を語っているが、ルール設定によるいわば自動化された規則は、映像的には、日常的に見慣れたものの布置をずらし、見ることの意味を攪拌する働きがあることは確かだろう。
カメラは、その技術的な刷新がどうあれ、レンズに映る存在物しか撮影できないため、映像はつねに具象的であり、そこから映像による記録という観念が生まれた。そんな映像による表現は、劇映画にしてもドキュメンタリー映画にしても、具象的な世界をいかに想像力で膨らませるかという試みに挑んできた。その傍ら、実験映画に代表されるように、具象的な映像世界をいかに抽象化するかという試みも行われてきた。それぞれの方向のなかで、作家性に応じて、さまざまな試みがこれまでなされてきたが、《日々“hibi” AUG》は、ルールの設定によって、日常の映像をコントロールしながら、その具象的な世界に潜む「未知なるもの」にアプローチする試みといえる。
前田監督の仕事は、一方で実験映画、メディアアート、ドキュメンタリー映画などの映像領域を横断して映像作品を創作しながら、他方で美術や音楽、パフォーミングアートなどの多岐にわたるアート分野とコラボレーションを行なっている。そうした前田監督の積極的で多才な越境性が新たな創造力を生み出し、これまでにない新たな映像表現に挑んでいるように思える。そしてYIDFFに長年かかわってきた筆者から見ると、《日々“hibi”AUG》は、ドキュメンタリー映画とは何かを改めて問いかける作品として意義深い。
撮影:萩原健一