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研究レポート

「メタ」を開くために──「Archival Archetyping Exhibition 2020」展/作品解題

 2020年12月24日10時より「Archival Archetyping Exhibition 2020」が開催されている。主催は、情報科学芸術大学院大学の学内プロジェクトであるArchival Archetypingだ。本稿では、出品作品のひとつである丹治圭蔵《This work is our exhibition》に通底する「展覧会」というフレームの省察を通して、「メタ視点」の考察を試みる。会期最終日である1月10日の24時までは作品を体験できるが、会期終了後は一旦作品の公開を取りやめるため、先んじて内容について簡潔に説明する。
 作品は、Archival Archetypingの公式ウェブサイト上に展開される。「Exhibition 2020」というヘッダーメニューをクリックする(もしくは、広報されているリンクからアクセスする)と、作品名や作家名、会期など展覧会の基本的なインフォメーションがあらわれる。その要素の一つであるステートメントが、数種類からランダムに選ばれて、展覧会のサブタイトルと共にページの最上部に表示されるのが作品の特徴である。くわえて、ステートメント中の言葉には、ハイパーリンクが埋め込まれ、クリックすると単語の意味と関連する他の出品作品へアクセスできる仕組みを持つ。このように、本作品は作品であると同時に展覧会の一部の機能を持つ。

 はじめ、鑑賞者にとって、本展は作品の内側でもあり、外側でもある印象を与えるだろう。ステートメントのアンダーラインの存在や、テキストリンクのカラーがその他のテキストと同じ色であることなど、ディテールの微妙な調整がほどこされている。その意図は、「作品」と「展覧会」のヒエラルキーを問うことにあり、作品を見る鑑賞者は、両者のどちらを体験しているのか、フレームを意識しつつ行き来することになる。それはまた、表示されているステートメントの態度によっても揺らぐ。あるステートメントは、自己言及的でコンセプチュアルなアプローチ※1 により作品らしく存在し、また別のステートメントは、出品作品に通底する真摯な問題を公表することで、まぎれもなく展覧会の要素となっている。
 しかし、本作品は「本作品⇄他の作品」というサイクルを繰り返すことで、先述のスタンスに偏りを見せはじめる。同一タブから作品を体験しインフォメーションページに戻るとサブタイトルとステートメントの内容が別のものになっているのだ。このプロセスは、ステートメントに書かれている内容を差し置いて、展覧会がメタ的なものである表明となり、本作品が制度的なアプローチのもと成り立ち、収束してしまうことを詳らかにする。やがて、ポストモダニズム的な循環に陥ってしまったことで新鮮さは失われ、本作品は鑑賞に耐えられなくなる。

 ハンス・ハーケは立方体の木箱に「ISOLATION BOX AS USED BY US TROOPS AT POINT SALINES PRISON CAMP IN GRENADA」(グレナダのポイントサリンス捕虜収容所で米軍が使用したような隔離箱)というポリティカルなメッセージを記し、ニューヨーク市立大学のパブリックモールに展示することで、現実とアートのコンテクストを共存させ、相互的な関心を引き寄せた。※2 グレナダ侵攻という政治的境界をめぐる問題、ミニマリズム作品※3 がアートの名の下に特権化された境界内に鎮座している事実、戦地(公共的な空間)から公共的な空間(戦地)への移動など、アートが現実の空間を引きずり出すこともあれば、その立場はいとも簡単に逆転しうる静かなスペクタクルもまた見せつけられる。複雑に境界を引くことで、多様な因果関係のもとで作品を自立させるのが、ハーケの手続きだった。このアプローチは本展にも関連づけられる。
 本作品単体は、上記のような強度を持ち合わせていない。ならば、それをエンパワーメントするのは他の出品作品であり、展覧会のフレームで為されることに特長はないだろうか。本作品が「Archival Archetypingのウェブサイト」内にあり、見かけ上同じデザインを踏襲していることから出発し、鑑賞者が他の出品作品と本作品の関係を見限るタイミングをつくことで、本展は二重に重ねられた特別な前提を獲得する。例えば、出品作品の一つである永井歩《It’s all here》は、本展のメタ的な偏りをさらに加速させるだろう。《It’s all here》では、ホワイトキューブを模した3D空間の壁面に、過去のオンライン展覧会のサムネイルとURLが展示されている。更に、ウェブカメラによって取得した映像を変換したアスキーアートをクリックすると、展示中のいずれかの展覧会にアクセスできるという作品だ。展示されている展覧会には、「Archival Archetyping Exhibition 2020」も含まれており、出品展覧会へのアクセス可能性というかたちで、作品中で展覧会に自己言及する作品として存在する。両作品において、インターネット上にオープンソースで公開され残る事実によって体現されている「作品 / 展覧会が作品によって脅かされる可能性」は情報空間上の混沌としたテレプレゼンスを呼びおこす。この構造を同一の展覧会で成立させることで、他の出品作品もまた作品同士が交錯する経験によってコンテクスト再編の可能性を見る。
 天野真《VOICE | NOISE》は、AIフィルターにより分断された「音響環世界」を同一のトラックに共存させる。また、西田騎夕の《歩行練習》は、体感と客観的な情報を区分し、手紙というフォーマットを用いることで差異を浮き彫りにさせた。Kou Houkaの《Time to say GOOD Bye》では、生死を象徴する言葉をTone Transfer※5 によって変換された音に託すことで、現代の感覚をタイムカプセルのように封じ込める。本展のために収録されたPodcastにも同じような観点が見出せる。どの作品も持つ、ある情報をもとある場所から異なる時空間へマッピングしなおされている(される可能性を残す)という見解は、情報空間と物理空間の関係に代表されるようなフレームの問題を比較検討するための主題になるだろう。これらは、展覧会の枠組みが持つ射程に貫かれている。

 2018年3月、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ジャクソン・ポロックの作品が展示された部屋でアーティストグループMoMARによる「Hello, we’re from the internet」展※6 がゲリラ的に開かれた。作品はスマートフォンのARアプリケーションを通して、ポロックのペインティングの上にあるCGが鑑賞される。座標を指定してデバイス上に表示させるため、作品を移動できない事情があったMoMA側の阻止も困難だった。
 《This work is our exhibition》、「Hello, we’re from the internet」展のいずれも、前提に依存し、つっこむ隙を見せる(に喰いつく)ことで、他作品と結びつく。その補完関係によって、新しく発生するコンテクストは引き受けられる。例えばそれは、ここまで詳説した「情報空間に端を発する展覧会で、現実の空間とアートの空間を分離して作品を成立させるという従来の方法論を踏み台にしているのだ」という枠組みを示すことで、既存のフレームを解体するような、ややこしくも重要な手つきだと思う。展覧会のメタ視点は、作品が新しい表現を切り開く時に取り入れられるべきではないだろうか。

 

丹治圭蔵(修士1年)


※1 GitHubで公開されている、Archival Archetypingのウェブサイトのソースコードをステートメントとするような。

※2 ハンス・ハーケ《U.S. アイソレーション・ボックス、グレナダ 1983》1983年

※3 立方体の形状がミニマリズム作品を意識させる。

※4 jekyllのMinimal Mistakes

※5 https://sites.research.google/tonetransfer 2021年1月7日閲覧

※6 https://momar.gallery/exhibitions/werefromtheinternet.html 2021年1月7日閲覧