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アート体験とは意識の変革によって構成される出来事である
──レポート:「つくる人、すむ人、みる人でつくるコミュニティ・アーカイブ」〈坂倉準三篇〉

松井茂(情報科学芸術大学院大学[IAMAS]准教授)

概要

2018年度の清流の国ぎふ芸術祭「アート体験プログラム アートラボぎふ」の一環として、IAMASメディア表現学研究プロジェクトが「つくる人、すむ人、みる人でつくるコミュニティ・アーカイブ」〈坂倉準三篇〉を企画、実施しました。
本プログラムは、これまで実施されてきたアート体験プログラムの中では、異質なものであったと思います。企画に際して、大学院が実施するイベントであることを意識し、アート体験を、人間の意識の変革によって構成される出来事と位置付けて計画しました。さりげなく日常に溶け込むアートとして、生活に身近な「建築」を対象に、設計者の考えを知り、建物で日々を過ごす人、周辺に暮らす人々とのコミュニケーションを考え、空間を体験し、その記憶を編集するプログラムです。
具体的には、2018年11月9日の羽島市での見学会、その後、アーカイバルリサーチに基づく報告書の作成、「情報科学芸術大学院大学第17期生修了研究発表会プロジェクト研究発表会」(2019年2月21〜24日、ソフトピア)での展示を実施しました。
 

プラットフォームとしてのアーカイブ

上記の観点で対象としたのは、羽島市出身の建築家、坂倉準三(1901〜1969年)と、その建物と都市計画です。坂倉は、羽島の酒蔵、千代菊に生まれ、代表作である羽島市庁舎(1959年)をはじめ、羽島市勤労青少年ホーム(1963年)、羽島市民会館(1968年)が活用されていると同時に、生家も残っています。
11月9日の見学ツアーには、岐阜県在住の建築家や学生を中心とした15名が参加。午前中は、羽島市勤労青少年ホームでのレクチャーを実施。
伊村靖子(芸術学、IAMAS講師)からコミュニティ・アーカイブに関する説明。すでに〈坂倉準三篇〉の準備や告知を通じて、様々な情報が収集/発掘がはじまり、従来の研究手法だけでは見出されることがない、個別の学術領域を横断した記憶の編纂が始まっている事例として、羽島市庁舎竣工時に坂倉自らが購入、展示した斎藤義重(1904〜2001年)の絵画作品の行方について情報が収集/発掘されつつあるという話がありました。これはつまり、「アーカイブを始めます」というプラットフォームの提示が、新しい人々の流れを生み、意識を共有したコミュニティをちいさく再編しはじめているということ。

 

建築という新たな生活者像の「かたち」

続いて、松隈洋(建築史家、京都工芸繊維大学教授)のレクチャーでは、羽島からはじまる坂倉の人生を、ル・コルビュジエ(1887〜1965年)との協働と位置づけて解読し、市庁舎の建設をそのひとつのピークとして位置づけます。そして坂倉の特長を、家具から建築、都市までの一貫したデザイン思想と指摘。
羽島市庁舎のデザインは、第二次世界大戦後、民主主義的な思想のもとで、正面性が解体され、市民に対して開かれた行政を建築で示しています。つまりクラインの壺のように、建物の外部と内部が連続的で接続しているようなデザインということ。来庁者の立場からは、家を出て道を歩き、一方の坂(スロープ)を上がり、気がつけば内部空間を抜け、別の坂から市街へと通り過ぎる、通路のような空間となっています。
竣工当初は、市庁舎の機能だけでなく、図書館が3階、公民館講堂が4階に併設された複合施設で、市庁舎への来庁者とは異なる動線のためにもスロープは準備されていました。1959年当時、坂倉は、故郷羽島市に、多様な目的をもった個人主義的な市民の営みを、新たな動線によって、新たな生活者像の「かたち」としてデザインしていたのでしょう。

2018年11月9日に行われた見学ツアー(羽島市庁舎)

 

羽島市庁舎の時代から現在へ

初代羽島市長の堀順一が、庁舎設計を依頼した時期、神奈川県知事・内山岩太郎は、坂倉に神奈川県立近代美術館(1951年)を、前川國男(1905〜86年)に神奈川県立図書館・音楽堂(1954年)を、坂倉に県庁新庁舎(1966年)を依頼。香川県知事・金子正則は、丹下健三(1913〜2005年)に香川県庁舎(1958年)をはじめ大江宏、芦原義信らに公共建築を次々と依頼する。弘前市長・藤森睿も、前川に弘前市庁舎(1958年)をはじめ、やはり複数の建築を依頼します。竣工間もない羽島市庁舎を見学した、上野市長・豊岡益人が、坂倉に上野市庁舎(現・伊賀市南庁舎)ほか、同地の都市計画を依頼し、坂倉の建築群ができたことはよく知られています。
これらの一連の出来事は、第二次世界大戦後の景気回復による、単なる建設ラッシュではありません。官選から公選に移行した、戦後民主主義の思潮の変化を承け、首長たちは、戦前とは異なる「かたち」を、庁舎や公共施設、都市空間を通じて、市民生活として機能させようとした。建築家もまた、同じ主題を模索し、協働した。行政と市民の日常生活を、新たな「かたち」へと改変することが意識された時代精神の発露だったのではないかと想像します。
建築物自体は古くなっても、こうした考え方の「かたち」は、多種多様に引き継がれ、時代の変化、メディアの変化と共に、模索され続けているはずで、この文脈の現在形として、松隈はレクチャーのなかで、kwhgアーキテクツによる武蔵野プレイス(2011年)を紹介。羽島市庁舎同様、建築学会賞を受賞したこの建物は、受賞理由として、「建築そのものが公共性に対する本質的な解を掲示した」と評され、kwhgアーキテクツは、岐阜県岐南町の新庁舎(2015年)でも知られています。
 

羽島市勤労青少年ホームを記憶し記録する1日

こうした午前中のレクチャーとディスカッションを経て、午後は実際に、羽島市庁舎、羽島市勤労青少年ホーム、羽島市民会館の見学を実施。ふたつのレクチャーを踏まえて、坂倉のオープンネスの思想が漲る公共空間の過去・現在・未来を、コミュニティ・アーカイブを通じて、考えていく機会になりました。
実際に見学ツアー後、毎週の研究会とフィールドワークを実施し、6名の参加者による報告書をまとめることができた。これについては、後日改めて、IAMASのwebで公開予定です。また報告書の編集過程で、「情報科学芸術大学院大学第17期生修了研究発表会プロジェクト研究発表会」の展示を実施することができました。

情報科学芸術大学院大学第17期生修了研究発表会プロジェクト研究発表会での展示風景

アート体験プログラムの展開として、報告書で五十川泰規(IAMAS修士1年)が計画した「羽島市勤労青少年ホームを記憶し記録する1日」に基づくイベントを、2019年3月30日に実施することになりました。これについても改めて、レポートしたいと思います。