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私たちが生きてきた時代について考えること──共同研究「マス・メディアの中の芸術家像」第1回研究会レポート

佐藤知久(京都市立芸術大学・芸術資源研究センター)

2019年5月13・14日の2日間,京都市西京区にある国際日本文化研究センター(日文研)で,「マス・メディアの中の芸術家像」と題する共同研究会の,第1回研究会が開かれました。
この研究会は,IAMASの松井茂准教授と日文研の坪井秀人教授(日本近代文学)との共同代表で,今年度から始まるものです。現代詩,映像表現,近現代美術史,サウンドデザイン,文化人類学など,様々な専門性をもつ十数名の研究者が集まって構成されています。
今回はその第1回ということで,研究代表者の松井さんと坪井さんによるお話が初日にあった後,川崎弘二さん(電子音楽)による研究発表と,川崎さん・松井さんによる坂本龍一氏への,主に1984年から86年の時期に関する公開インタビューが,2日目に行われました。ここでは2日間の研究会に参加した経験をもとに,この研究会が何を問題にしているのか,何を検討しようとしているのかについて,事後に考えたこともふくめて報告しようと思います。

 

共通世界としてのマス・メディア

「マス・メディアの中の芸術家像」という研究会のタイトルは,テレビの中の芸術家とか,雑誌の中の芸術家といった,これまでは積極的に論じられてこなかった視点から芸術あるいは芸術家の姿をとらえることを意味しています。そしてそれを「1968年から1995年」という時期に限って考えるという点に,この研究会のポイントがあります。

〈1968-1995〉というのは,テレビが社会の共通世界として成立・成熟していく時期だと,松井さんは言います。共通世界とはおそらく,ハンナ・アーレントのことばです。それは,私たちを互いに介在させ,出会ったり,見たり見られたり,話したり聞いたりする場所のことです。
現代社会における共通世界が,メディア空間だと考えるならば,〈1968-1995〉における共通世界としてのマス・メディア──テレビに代表される──に対して,芸術家がどのように関わり,あるいは距離を取ってきたのか。そして,その中でどのように振る舞ってきたのか。それを検証することが,この研究会の基本的な目的だと言えます。
実際,丁寧に見ていくと「この人も?」というような芸術家が,〈1968-1995〉にはテレビに出ていたといいます。芸術史では通常,作品を基本として考え,絵画や彫刻など,表現媒体(メディウム)ごとにジャンル分けして,そのジャンルごとに,作品の変遷や展開を追うことになる。その視点からすれば,メディア上での発言や活動は,二次的な資料価値しか持たないことになります。
けれども,共通世界としてのマス・メディアという観点から見ると,違った風景が出現します。
テレビはそもそも多数の視聴者に向けて表現活動を行う媒体です。だとすれば芸術家が,たとえ本来は異なるメディウムを専門とするとしても,テレビに出ることを,新たなメディウムを用いた〈作品〉的な行為に近いものと考えていた可能性は十分あります(実際,横尾忠則氏は,版画とテレビのあいだに複製芸術としての連続性を見ていたそうです)。
もうひとつ,現在の私たち,つまりインターネットが表現媒体でもネットワーキングの媒体でもある時代に生きる私たちからすれば,メディアが人びとをつなげていくというのは当たり前の話です。けれども,実際にこの時期,テレビ・ラジオ・雑誌などのマス・メディアが,情報を流通させるだけでなく,どのように人びとを具体的につなげていたのかは,あまり明確ではありません。
テレビの普及率が(日本で)ほぼ100%に達した時点から,インターネットの普及が始まる時点に相当する〈1968-1995〉は,いわば,小さな共通世界としてのジャンルや業界が存在しつつ,同時に,大きな共通世界としてのマス・メディアが並存していた時代です。大小の共通世界が並存する時代の芸術家たちに焦点をあてることで,かれらがどのようにマス・メディアを通じて互いに知り合っていったのか,そしてマス・メディアがどのように,異なるジャンルや業界の人間とネットワークをつくるメディウムとして機能していたのかが,見えてくるでしょう。それは,すべてがひとつのメディウムに飲み込まれているとも言える現在の特徴を,照らし出すことに役立つかもしれません。

 

解体・再構築・パフォーマンス

川崎さんによる二日目の「作曲家・坂本龍一と武満徹の場合」という研究発表と,松井さん・川崎さんによるインタビューは,研究会の方向性をより具体的に示すものでした。
演劇,映画,ラジオ,テレビ,新聞,博覧会,そして書物など,コンサートやレコードに限らないさまざまなメディアを用いた活動で知られる作曲家・武満徹(1930-1996)と,武満を批判しながら音楽活動をはじめ,YMOの一員として時代の寵児となった坂本龍一氏の二人を比較しながら,川崎さんは二人の芸術家の「マス・メディアの中の像」を描いていきます。
そこから浮かび上がるのは,私が思うに,すでに確立した著名な既成のメディアへ進出しようとする「保守」の線と,既存メディアを用いるだけでなく,既存メディアの用い方を変えようとする「実験」の線の違いです。良質なエッセイを大きな出版社から刊行すること(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』1971,新潮社)と,本というメディア自体を問い直す本を,自ら立ち上げたレーベルから刊行すること(坂本龍一『本本堂未刊行図書目録』1984,朝日出版社)の違いだと言ってもいいでしょう。実際,坂本氏は公開インタビューのなかで,小さな頃から「本屋の息子」として(父は著名な文学編集者)本に囲まれて育ったせいか,本の内容だけでなく,装丁や匂いなど,もの/メディアとしての本のあり方にも興味があったと述べていました。当時すでに本は古臭いものだと思われていたけれど,パフォーマンスという観点から見ると本というメディアは面白いメディアだと思っていた,と。両者の越境あるいは横断の仕方をどう見ていくかが,今後重要だと思われます。
1984年に来日したローリー・アンダーソンは,当時坂本氏に次のように語ったそうです。私は音楽をひとつの部品とし,様々なものを組み合わせてパフォーマンスをしているが,あなたは音楽の中に全部を入れるのですね,と。
たしかに,第二のデビュー・アルバムとも言える『音楽図鑑』(1984)で坂本氏は,デジタル・サンプリング機能をもつシンセサイザー/シーケンサー,フェアライトCMI(現在のデジタル・オーディオ・ワークステーションの先駆)を用い,あらゆる音楽の「解体と再構築」を試みています。それは,あらゆる音を編集/利用可能とする,デジタルな技術環境の中で作られた最初期のアルバムです。けれども,それがすべてをいわば超越的・垂直的に,「音楽」という専門性にとりこむ企てだったのかどうかは,慎重に検討すべき課題でしょう。実際,『音楽図鑑』は,書物(坂本龍一『音楽図鑑 エピキュリアン・スクールのための』1984, 本本堂)や映像,ラジオや雑誌と絡み合いつつ進行したプロジェクトだったとも言えるからです。

 

横断性・ポストモダニズム・現代

フェリックス・ガタリはかつて,1964年に発表されたテキストの中で,「横断性 transversalité は,純粋な垂直性の次元と単なる水平性の次元という二つの袋小路を乗り越えようとするひとつの次元である」と書いていました(フェリックス・ガタリ『精神分析と横断性』邦訳p.132)。横断性とは,垂直的な階層性の限界を越えようとすると同時に,あらゆるものを等価とみなしすべてを平準化してしまう水平性の限界も乗り越えようとするものだというのです。優れて〈1968-1995〉的な人物でもあるガタリによれば,横断性はすべてをひとつのメディアに飲み込むことでも,単にメディアを横断していくことでもありません。
思えば1980年代前半は,さまざまな権威や専門性や領域に裏打ちされた学問的知識の優越性が解体されていく,ポストモダニズムの(日本における)開始点でもありました。ポストモダニズムは結果的に,すべてがフラットで,誰もが発言しうるという,すぐれて現代的な状況の構築に加担していきます。それはたしかに,一面で思想を流動化・活性化させました。しかし他面では,思想を解体させる役割を果たしてしまったようにも思います。ポストモダニズムと芸術,とりわけ現代美術の関係も,重要だと思います。
研究会では今後,磯崎新氏や,テクノロジー,フェミニズム,湾岸戦争など,狭義の芸術/芸術家だけでなく,思想・政治・技術などについても検討する予定です。こうした多様な対象を見ていくためには,研究者それぞれの専門性を持ち寄る分担の思想ではなく,ガタリ的な意味で領域横断的な思想が必要になるでしょう。〈1968-1995〉について考えるとは,初日に坪井さんが述べたように,私たちが生きてきた時代について考えることであると同時に,私たちが生きている現在を照らし出そうとする試みでもあるからです。

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